ハゲのトリセツ

毎日たのしーなー。

14で親と死に別れた後、103まで生き抜いた男(126日目)

2018年9月、祖父が亡くなりました。享年103歳。大往生でした。

 

父からの伝え聞きですが、祖父は14歳で親を亡くしました。まだ幼い弟を食わせるために早速働き始め、各地を転々としながら、荷車を引いて都市部まで行商に出向いたりしていたそうです。

 

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荷車って重いんですよねえ

 

その後、現在の警察に奉職。まだ刑事(「探偵さん」と呼んでいたそうです)も着物姿の時代で、祖父も時代劇に出てくる岡っ引きよろしく、着物の裾を腰帯に絡げて犯罪者を追いかけていたとか。

 

生前、よく語っていたのは、ある警察署の現在で言う留置管理係だった時のこと。戦後すぐのころのようですが、男性のシンボルを切る事件が起きて犯人を捕まえて留置したことが忘れられないようでした。

 

後に分かったことですが、祖父はその後、50歳ごろに遺影を作っています。といっても、今のような写真ではなく、画家に肖像画を描いてもらったのです。

 

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生前に遺影を作る気持ちって、どんなんだろう

 

当時の退職年齢は55歳。警察官て体を酷使するからでしょうか、退職から数年で亡くなる方も結構、いらっしゃるから、そんなことを意識したのでしょうかね。

 

結局はそこから53年、半世紀以上、遺影を使うことはなかったわけで、なんとも頑健な人だったのだなあと、あらためて考えさせられます。

 

14歳から働き始め、重い荷車を引いて何十キロも歩いた経験が体を丈夫にしたのでしょう。その後も体が資本の警察官として鍛えていました。

 

警察官アルアルだと思うんですが、祖父の趣味は山歩きでしたから、退職後も野山を駆け巡っていました。車を運転している祖父の記憶はほぼありません。

 

山歩きは80代になってもやっていました。

 

ある時、山小屋のようなところに祖父と泊まったことがあるのですが、明け方に「ハァッ!」という掛け声が聞こえたので驚いて目覚めると、鉛筆を畳に突き刺している祖父の姿がありました。

 

鉛筆の先には息絶えたネズミ。「朝っぱらからチョロチョロしていたからな」。ラオウか、あんた、って、当時流行っていた「北斗の拳」を引き合いに心の中で突っ込んだ覚えがあります。

 

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わが生涯に 一片の悔いなし

 

なんでも食べる人でもありました。これも先の山小屋近くでの出来事ですが、草むらの中に消えたと思ったら、十数分して何かを手に戻ってきました。

 

マムシでした。多くを語りませんが、素手で捕まえたようです。いや、だから、ケンシロウかっての、あんた!

 

常にマキリ(山に入る人が持っている小刀のことです)を携帯している人でしたから、マムシを腹から割いて何かを取り出し、「こいつが肝だ」とポツリ。

 

丸っこいその「何か」をアルミホイルに入れ、火をおこし、焚火にアルミホイルごとくべて包み焼きにしました。「あ~、戦争に行った人は根本的に何かが違うわ」と、幼心に世代間格差を初めて感じた瞬間でした。

 

結局、食いました。「肝」。別に食べたくなかったし、お菓子の方が良かったけれど、なんか断るって選択肢がありませんでした。目の前にいるの、ラオウケンシロウだから。「ヒデブっ」って言いたくなかったもの。

 

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採れたからって、孫に食わせないよなー、普通

 

90歳を過ぎても頑健そのもの。よく肉を食ってました。好きなものは豚肉。お嫁さん(私から見たら伯母さん)が買っておいた中型パックをフライパンにあけ、卵やタマネギと一緒に炒め、パクついてました。

 

95歳を過ぎたころから同じことを繰り返して言うようになったり、昼夜逆転生活になったりし、高齢者施設に入居しましたが、体の丈夫さは相変わらずでした。

 

新聞に載っている警察人事を見て「〇〇が署長かあ」と話し、自分が退職時に奉職した新人さんに思いを馳せていましたが、その人が先に亡くなりました。

 

祖父の妻、つまり祖母は東日本大震災の年に亡くなりました。祖父よりずっと先に高齢者施設に入っていて、あの年は計画停電とかもあって暑かったことが影響したと考えています。祖父は亡くなった祖母の足をさすっていました。

 

祖父が身を粉にして働き、食べさせた祖父の弟も、ずっと早くに亡くなりました。祖父に先立つこと13年。思えば祖父だけが異様に長寿でした。

 

祖父が亡くなる一週間前、父からいろいろ健康状態を聞かされていたこともあって、ちょっと顔見せに行きました。今から思えば虫の知らせってやつだったんですかね。

 

あの頑健で大食漢だった祖父がほとんど食べなくなり、ほとんどの時間をベッドの上で昏々と眠るようになっていました。

 

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食べなくなるとダメだって言いますよね......。

 

今日、生後10カ月になった娘が生まれる間近だったから、耳元で怒鳴りました。

 

「もう少しで、もう一人、ひ孫が生まれるんだから、それまでダメだよ。その子の顔を見せに来るんだからね」

 

ひ孫という言葉を聞いて一瞬、我に返ったのか、「誰の(子どもだ)!」と声を出しましたが、あとは意思疎通できたのか分かりませんでした。

 

その後、少しして帰りましたが、ほとんど眠っている祖父が一度、ひじを曲げて両手を口の周りに持っていき、「お~い」と叫ぶポーズを作ったのが印象的でした。

 

じいちゃん、あの時、三途の川の手前にいたのかい? 向こう岸に、ばあちゃんたちがいたのかい? 

 

向こうから呼ぶ声には勝てなかったのかなあ。もっと、生まれてくるひ孫について、いろいろ話して、こっちに戻す努力をすれば良かったと思う時があります。

 

3日後の25日、ちょっと早いですが、1周忌を営みます。祖父と交代するかのようにこの世にやってきた娘(ひ孫)は、うつ伏せ状態から自分で座れるようになりました。

 

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暴れっぷりもハンパねえ

 

1周忌には、あの遺影も祭壇に置かれると思います。

 

頑健だった祖父らしく、半世紀以上も前の50歳にしては髪が黒々としています。

 

負けていられないと思っています。

 

AGA(薄毛)治療生活は126日目。もっと黒々したいものですなあ。


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